祥司


祥司


しっとりとした艶やかな紫泥の輝き。

そして薄作りならではの軽やかさ、ぴたりと合う蓋、水切れの鮮やかさ。

さらに、生きものの表情までいきいきと刻み出す精緻な彫りが、その格を一つ上の次元へ押し上げている。

 

初めて手にしたときの驚き。背景を知りたい一心で問い合わせを重ね、半年ほどかけて、ようやく市川寿山を訪ねることができた。それから幾度も足を運び、本人の口から、一つひとつ確かめていった。

 

“祥司(しょうじ)”は、四日市でつくられた萬古急須の屋号である。

始まりは、寿山の祖父の代に遡る。祖父が始めた急須づくりを、その息子の正二が戦後まもなく受け継ぎ、自らの名にちなんで“祥司”と名づけた。正二の二人の息子のうち、弟の和久は中学を出てすぐ家業に入った。兄の寿山が彫りで加わったのは、ずっと後、四十歳を迎えた1990年ごろのことだ。

 

兄弟が交わした誓いは、「萬古で一番の焼き色を目指そう」。あのしっとりとした艶は、その誓いから生まれた。

 

弟の和久が成形を、兄の寿山が彫りを受け持つ。二人の持ち場が組み合わさって、この一つの急須ができている。

 

兄の寿山が加わるまでの“祥司”は、比較的安価な急須が中心だった。

兄弟がまず取り組んだのは、土だった。「徹底的に不純物を取り除き、さらさらと水のように流れるほどになるまで、髪の毛のより細いふるいにかけて、土を極限までなめらかにしていきました」と寿山は言う。

焼きにも踏み込んだ。ガス窯での長時間の強還元焼成を、二度にわたって行う。「このしっとりとした質感は、表面が溶け始める失敗寸前まで焼いて初めて生まれます」。

 

寿山は四日市工業高校の工業化学科を卒業して石原産業に入り、四日市のコンビナートで硫酸の生産に長く携わった。硫化鉱を焙焼して硫酸をつくる工程は、緻密な熱の管理を要する。焙焼炉や発電炉、各種の実験炉の運用、タービンの点検にも関わり、炉というものを細部まで知り尽くしていった。

萬古は急須職人の多い土地。生家も急須屋で、寿山は彫りの仕事も、仕上がった作品も、子供のころから身近に見て育った。会社に勤めていたころには、すでにある程度の腕になっていた。三十のころ会社を辞めると、師について本格的に腕を磨き、他工房の急須に彫りを入れながら十年ほど研鑽を積んで、四十のころ、家族の急須づくりに加わった。

 

工業炉で培った炉の知識は、そのまま生きた。燃焼の効率、熱の伝わり方、窯の中での作品の置き方、そして限界まで焼く際のリスクの見極め。失敗寸前まで踏み込めたのは、この裏づけがあったからだ。

 

軽く、薄く、蓋がぴたりと合う。この急須の完成度は、弟・和久の手によるものだ。中学を出てからずっと、土仕事も力仕事もこなしながら、ただひたすら急須をつくり続けてきた。急須の売れない時代に、幼いころから黙々と作り続けた、その年月が、手にしたときの心地よさを生んでいる。

 

薄く軽い急須は、彫るのが難しい。厚手の急須のように、深く彫り込んで迫力を出す、という手が使えないからだ。浅い彫りで、繊細に表情を生む。そこに、彫り手の技がそのまま表れる。

自身の彫りについて、寿山はこう話す。「顔や表情を彫るのは、難しいんですよ。絵心と、それを彫りに起こす技とは、なかなか結びつかないものでね」。

この薄い急須に、生きものの表情をここまで宿らせている。冒頭で目を奪われた彫りは、その難しさの上に成り立っている。

 

寿山は、弟をこう語る。「弟は中学を出てから、萬古づくりが好きで、土仕事から力仕事までこなして、父を助けて働く毎日でした。急須づくりが好きでしたね。ただ、父がずっと手元に置き続けたのは、弟には窮屈だったかもしれません。私が関わるようになってからは外へ連れ出して、ずいぶん世界が広がったと思います」。

それは、工房にこもりきりだった弟に、外の景色を見せることでもあった。

弟が生涯独り身だったことにも、時代が映る。「四日市には働き口がいくらでもあって、男はみな会社勤め。萬古屋のような小さな仕事場には、なかなか人も、嫁も来なかった」と寿山は言う。急須が売れなくなっていく時代に、それでも土に向かい続けた、小さな工房の兄弟の姿が、そこにある。

 

和久と寿山は共同で“祥司”の急須を2015年まで25年間ほど作り続けた。寿山が参加してから5年間ほどは業者を通じた販売であったが、その後デパートの催し物での販売に完全に切り替えた。和久は長い闘病の末、2022年に世を去った。

 

当店で販売する祥司の急須は、寿山が家業に加わった1990年から1995年ごろに作られ、当時の業者が手元に持ち続けていた未販売の品である。

 

※市川寿山氏への複数回のインタビュー(2026年)に基づく。



市川正二

1916年三重県四日市にて生まれる

2002年他界

 

市川寿山(本名 禎作)

1947年三重県四日市にて正二の長男として生まれる

1966年 四日市工業高校工業化学科卒業

石原産業入社

通産大臣認定伝統工芸士

四日市市優秀技能者表彰

埼玉大学経済学部新講義棟 “望”陶壁制作

四日市社会保険病院 介護老人保健施設 “獅子舞”陶壁制作

四日市近鉄駅前コミュニティ広場 “四日市”三枚組陶壁制作

日本都市センター会館内 全国都市センター梅林公園 アートタイルデザイン制作

(株)東海テクノ四日市分析センター “環・共に生きる”陶壁制作

 

市川和久

1951年三重県四日市にて正二の次男として生まれる

1967年父のもとで急須作りを始める

2022年他界

通産大臣認定伝統工芸士



市川寿山 ”祥司”急須 2026年撮影
市川寿山 ”祥司”急須 2016年頃撮影
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