常滑焼きの急須の名工・磯部輝之。
色々な作風があるが、代表的なものに印花文様がありそのファンは多い。
作り方は複雑で、まず急須をろくろで引き、その後何層もの色を条文に塗り重ねる。少し乾いたのち独自に開発した道具で複雑な溝を本体に入れ、さらに乾かし後、判子のようなもので印花文様をひとつひとつ押していく。この印花は小さい作品であれば200個ほど、大きいものであれば500個にもなる。印花文様をすべて押し終わった後、乾燥させ素焼きで750度にしてから色土を全体に塗り、乾いたのち表面をスポンジで拭き取ることで印花模様に象嵌を施す。いくつもの工程を経る大変手間のかかる作業であるがそのすべてを手で行う。
“急須が薄すぎると印花文を押したときに破けやすくなり、逆に厚すぎると使いにくい。そのちょうどいい厚さでろくろをひくのが難しいんですよ。曲面の所に印花を押すのも苦労しますね”
精緻な模様が目をひくが、急須自体にもこだわりがある。
“底に近い曲面を他のところよりほんのすこしだけ薄くすることで重さを感じず、全体的にバランスのとれた使いやすい形になるんです。”これは形に強くこだわり、また技術がないと出来ない技である。
“軽くて使いやすく、美しい。実用性と芸術性を兼ね備えた急須。使う人のくつろぎのひと時をお手伝いしたい”これが輝之のモットーである。
中学を卒業後、勉強があまり好きではなかったため進学せず働くことを選択。
たまたま小学校の先生の知り合いがいた急須製造会社に勤めることに。
大手であったが、手作りのものも手掛けており、輝之は一貫して手作り急須を担当。
68歳に定年退職するまでその会社で働いた。
周りからはもっと早く退職して独立した方がいいと言われたが、社長を心から尊敬していたため定年まで会社にとどまり、たくさんの作品を世に生み出した。
印花模様以外でも伝統的な工法を基に、使いやすく美しい急須を多数制作しており、茶を愛する人、急須収集家の注目を集めている。
インタビュー 2014年1月
1938年 南知多町に生まれる
1954年 高資陶苑に弟子入り
2007年 輝之窯を開窯