常滑を代表する彫師。
急須に透かし彫りを施すのはおそらく日本で彼だけだろう。
その彫りは非常に細かく手が込んでおり、立体的で深みがあり迫力がある。
父である初代舜園を継いだのは1974年、24歳の時。
父の初代舜園は自分が作った急須に彫師が彫を入れていた。
戦後まもなくたまたま常滑に訪れていた牛島一陶と出会う。
これによりそれまで常滑になかった立体的な彫を施すようになった。
“彫を直接教わったことはありません。子供の時から、長い間観察し真似ることで勉強しました。”
牛島の彫のスタイルに色をつけるなど手を加え独自のスタイルを確立。
さらにこれまで誰もやっていなかった透かし彫りを編み出した。
“透かし彫りは誰もやっていなかったので道具もすべて自分で考えたんですよ。”
透かし彫りの場合、外側の土と透かしを施した内側の土は収縮率の違うため、焼いた時に割れてしまう。長年に及ぶ試行錯誤ののち、土の湿度を調整するノウハウを取得した。
舜園は急須自体も自分で作っている。ろくろを引くのはもちろんだが、日本では珍しいたたらづくりの急須も作る。
通常彫師は彫のみを行い、急須は他人が作るのが一般的であるが、舜園は彫で有名でありながら、急須自体も自分で作り、茶漉しも全て手作りするなどこだわりをもっている。
土まで自分で準備するのだが、代表的な急須の町・常滑でもなかなかそういった作家はいない。
急須の実用性も研究を重ねており、例えば注ぎ口を少し曲げることにより、急須の中の水の量が変わっても、お茶が同じ場所に注がれるようになっており、また水切れにもこだわっている。
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