鯉江廣の作品は茶器から創作焼物まで幅広いが、そのどれもが常滑の伝統をベースにしながら、独創的な技法を取り入れたものである。
例えば、独自の長石釉と黒燻を組み合わせほのぼのと夜が明ける様子を表現した“あけぼの彩”。備前焼きの緋襷の技法を応用して模様を銀化させた錦襷。これらは鯉江の生み出した技法であり、またこれら技法の名前も鯉江がつけたものである。
この他にも朱泥を黒く燻した後に部分的に研いで中の朱泥を見せる研ぎ出し、など多くの新しい技法を生み出している。
鯉江家は常滑焼が生まれた平安末期から続く旧家で、陶祖鯉江方寿の一族で窯業に携わっている由緒ある家。茶器の製作は父の代からはじまった。
幼少期の1950年代、常滑はかめや土管などの産業陶器制作の街として多いに栄えた。
土を載せた馬車からこぼれ落ちた土を拾い、よく粘土遊びをした。
中学の頃には父を真似てろくろをいじり始め、高校では窯業科で勉強し、将来この道をすすむ意思を固めた。
茶器は父から学んだが、花器などの創作物は独学。
人間国宝であった3代山田常山もいち早くその才能に着目。
卒業後すぐに、三代山田常山が発起人・会長を務めた“常滑手作り急須の会”に若手メンバーとして参加。
3代常山とは31歳年が離れていたので、まるで父と子のようにいろいろなアドバイスをくれた。
““シャープな線を生かしたいい急須だね”と言われたのを覚えています”
3代山田常山が人間国宝に指定されたあとに作られた常山賞の第一回受賞者に選出された。
少し前までは、芸術品というよりあくまで実用的なものとして捉えられていた急須。
彼は1970年頃からいち早く展覧会、工芸展などへ積極的に作品を出展。
急須を芸術の粋まで高めようと活動してきた。当時そのような活動をしていた作家は常滑で他には山田常山くらいであった。
“常滑の多くの作家たちの中から自分が認められるために、独創的なものを作ることに努力しました。”という鯉江。
実際に、急須に高台をつけたのも、富士山の形を模した“富士形”を初めて取り入れたのも彼だ。
薄く、軽く、使いやすいもの、そしてデザイン的には現代の日本人が住む家にマッチした和風でモダンなものを新しい手法を積極的に取り入れながら作り出している。
“今の日本の若者が日本の伝統的なものからどんどん離れているのが気になります。”
と危惧する一方、“幅広い年齢層の方に、また国内外を問わず、たくさんの人の心を打つような作品をこれからも作り続けたいと思っています”と意欲を示す。
妻は細字彫師の陽水。
もともと書道が得意であったこともあり、鯉江廣に嫁いでから細字彫りを始め、経歴は既に30年。限りなく小さい文字を彫りつつもはっきりと読めることが特徴である。
1986年には常滑が位置する知多半島内で優秀な作品を奨励する長三賞陶業展にて細字彫り急須で金賞を受賞。
夫婦二人三脚で作品を作り続けている。
インタビュー 2013年2月
1955年 愛知県常滑市に生まれる
1973年 県立常滑高校窯業科卒業
1975年 県立瀬戸窯業高校 陶芸専攻科修了
1978年 第9回 東海伝統工芸展 初入選・連続35回入選
第25回 日本伝統工芸展 初出品初入選以来21回入選
1979年 第5回 日本陶芸展 初出品初入選以来6回入選
第7回 中日国際陶芸展 初出品初入選以来6回入選
1982年 日本工芸会正会員に認定される
1983年 第14回 東海伝統工芸展 名古屋市教育委員会賞受賞
1986年 第14回 中日国際陶芸展 奨励賞受賞
1987年 第1回 日本煎茶工芸展 工芸協会賞受賞と入選以来25回入選
1988年 第19回 東海伝統工芸展 丸栄賞受賞
第2回 日本煎茶工芸展 工芸協会賞連続受賞
1989年 第1回 陶芸ビエンナーレ展 入選以来4回入選
日本六大古窯現代作品展 選抜出品2回(1991)
1992年 第6回 日本煎茶工芸展 奨励賞受賞
1993年 第21回 長三賞陶芸展 長三大賞受賞(第15回より全国公募)
1998年 第12回 日本煎茶工芸展 工芸協会賞受賞
1999年 第1回 常山賞受賞(人間国宝 三代山田常山賞)
2000年 第31回 東海伝統工芸展 NHK名古屋放送局長賞受賞
2002年 第33回 東海伝統工芸展 静岡県教育委員会教育長賞受賞
2005年 第19回 日本煎茶工芸展 全日本煎茶道連盟賞受賞
2006年 第20回 日本煎茶工芸展 全日本煎茶道連盟賞受賞
第37回 東海伝統工芸展 東海伝統工芸展賞受賞
2007年 第38回 東海伝統工芸展 愛知県知事賞受賞
2009年 第40回 東海伝統工芸展 招待出品・審査員
日本工芸会東海支部 伝統の技 記録事業 「あけぼの彩」記録保存
2011年 第39回 伝統工芸陶芸部会展 審査員
2016年 常滑市指定無形文化財保持者「ろくろによる手造り朱泥急須技法」認定
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