陶寿


1932年常滑生まれ。

父は土管職人、兄は植木鉢などを作る窯業一家であった。

本人は小学生の頃から家業を手伝い、鶏が水を飲むための容器をろくろで作っていた。

 

15歳の時から40歳まで兄を手伝った。戦後だったこともあり、給料もなく、食事をさせてもらうだけ。兄は25歳も年が離れていたので、父のような存在。このように家族の仕事を無給で手伝うのはこの時代であればよくあることだった。

 

主に担当したのは大きめの植木鉢をろくろで引くこと。大きくて重い鉢を窯から出し入れするのは重労働だった。「うだるような暑さの中、昼夜交代で窯の見張りをしたもんです。同業者の中には窯の余熱があるままあせって窯を開けたため、職人の衣服が燃え火事になることもありました。本当に大変な仕事でした。」

 

常滑は日本六代古窯の一つに数えられ、8世紀から焼き物の街として知られ1000年以上の歴史がある。街中が焼き物屋のため、洗濯物はすすで黒くなり、常滑の雀は黒いと言われた。肉体労働をする人が多く、栄養補給のためうなぎ屋や餅屋が多く並んでいた。

このような環境の中、陶寿は下積み生活を長く続けたのである。

 

兄の子供が高校を卒業するのを機に、40歳で兄から独立。

“陶寿”の屋号は兄からもらった。

独立して急須作りを始めたがその作り方を誰も教えてくれなかったので、知り合いの職人を訪ねて急須の形などを研究した。急須が売れ始めるまでは盆栽の小鉢を作ってしのいだ。

 

陶寿の急須の原料は過去携わった植木鉢や盆栽の小鉢つくりの土からきている。ひと目でそれとわかるほど独特なデザインは盆栽の小鉢の鋲、木目等の模様を急須に転用し、アレンジしたものだ。

 

陶寿の急須は小ぶりなものが多く、主に玉露や煎茶などの高級なお茶を淹れるのに使われている。 

「使いやすいように使い手の意見をくみ上げて作っています。急須を薄く引くのも美しさと使いやすさの両方を追求するため。大変気をつかう作業ですが、こだわっています。薄いので見た目よりも容量がありますよ。」

素朴で温かみがあり、他にない独特のデザインの陶寿は、長い間ファンによって支えられてきた。跡取りはおらず、今では生産量もすくなく大変貴重。

 

「今ではボケ防止のためにもやっているのですが、こんな私の急須を欲しいと言って下さる人がいるのは本当にうれしいことです。これまでの作陶人生、波風もなく平凡でした。それが一番ですよ」



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