商品概要
商品名 | 伊賀焼 南蛮急須 |
作家 | 小島憲二 |
生産地 | 三重県伊賀市 |
サイズ | 高 8.9cm * 長 15.5cm * 直径 10.5cm |
満容量 | 約 340ml |
素材 | 陶器 |
備考 | 桐箱 |
ご注意点
1300度以上の高温で焼かれる伊賀焼。独特な緑のビードロ、それを引き立てる焦げが魅力である。
「伊賀焼は桃山時代から江戸時代初期にかけて、茶陶などの嗜好品をお殿様に献上することで大きな発展を遂げました。伊賀焼の焼成温度の基本は1300度。焼成温度を1250度から50度上げて1300度にするのに必要な赤松薪の量は2倍、3倍、コストは当然大きくなります。1250度を超えると歪みや傷がつく可能性が増し、表現できる色も制限され、燃料コストもさらに上がり大量生産品を作るのは難しくなります。伊賀焼はそういう意味で、贅沢で“究極にマニアックな焼き物”といえるでしょう」と語る。
伊賀焼を代表する小島憲二の作品は、伊賀焼固有の魅力に加え、ダイナミックかつ繊細な印象を与え、見るものを圧倒する。伝統的な伊賀焼を主に作るが、現代的で独創的なものも多く手がけ、作風は多岐にわたる。
小島は現在、花生け、抹茶碗、水差しなどを主に作るが、“遊び”として急須を作ることがある。たまにしか作らないからこそ“作るのが楽しい”と小島が語るその急須は朴訥だが仕事が細かく、実に趣がある。“遊び”とは言うが、急須の街の常滑で焼物を学び、常滑出身の著名な急須作家とも交流がある小島はよい急須とはどうあるべきかを心得ており、急須に対する思い入れは強い。
「急須はいくつかのパーツに分かれていますが、それぞれのパーツの乾き方・収縮の仕方も変化するので、組み立てるには土の性質をしっかり把握しないといけないんです。なによりも技術と経験が必要です。忙しい時ほど急須を作ってみるのですが、急須は自分の技術を確かめるには最適なんですよ。」と、急須を作る難しさと楽しさを語る。
1953年、愛知県知多市生まれ
焼物の町・常滑市にある常滑高校窯業科を卒業し、陶芸家を目指していた小島。親に“そんなもので飯が食えるか”と反対され、仕方なく隣の県三重県伊賀市のタイル会社に就職した。
1年ほど働いたが、陶芸家の道をあきらめきれず、備前の三代目小西陶蔵氏に師事。
「陶芸家として独立するというはっきりとした目標があったので当初より「5年たったら辞めます」と師匠に伝えていました。そのせいか小西先生は陶芸作家として独立するために必要な基礎的な訓練をしてくれました。」と恩師に対する感謝の思いを語る。
備前を離れた後再び伊賀に戻り、地元の窯業会社に勤め始めた。
商品企画として働く傍ら、会社の窯などの設備を自由に使って陶芸作家として活動することを許された。しかし、利益追求を目的とする企業と個人作家としての活動との間のギャップを感じ4年後に会社を辞め、個人活動に専念する。
大量生産ができず万人受けはしない分『趣味人』に愛され、大いに栄えた伊賀の焼き物。
他の産地には真似できない“日本独自の美意識を備えた伊賀焼”を現代の生活になじむように追求した小島の作品は多くのファンを獲得し、今では日本全国の有名百貨店で頻繁に個展を催す伊賀を代表する作家として名を馳せている。
「先人が残した数少ない古伊賀が常に自分のものさしとして存在しています。
“やっぱり桃山時代の伊賀はすごいな”“こんなものができたらいいな”
と思いながら作っています。“近づいた!と思ったら、離れていく、そして離れたと思うとまた近づく、この繰り返しですね。」
伊賀の可能性を追求し続ける小島は「失敗は恐れません。」と何度も力強く語ってくれた。
1953年 愛知県知多市に生まれる
1972年 愛知県立常滑高校窯業科卒業
秋、伊賀丸柱に移り作陶
1973年 朝日陶芸展初入選
秋、備前・小西陶蔵氏に師事
1979年 伊賀丸柱にて古窯跡地に築窯
デンマーク国立博物館「陶筥」買上げ
以後、朝日陶芸展・中日国際陶芸展・日本陶芸展・陶芸ビエンナーレ展等入選
1988年 沖縄・青砂工芸館個展(2000年まで毎年)
1995年 タイ・タンクェン村にて作陶
1999年 沖縄市知花にて作陶(2000年 同)
2004年 日本橋三越本店個展
大丸心斎橋店個展(2008・2011年 同)
2005年 沖縄三越個展(毎年)
松坂屋静岡店個展(隔年)
2006年 名古屋丸栄個展(2008・2010年 同)
2007年 横浜高島屋個展(2009・2011・2014・2016年 同)
日本橋三越本店個展
2010年 日本橋三越本店個展
2012年 福岡三越個展
2013年 ジェイアール名古屋タカシマヤ個展(2016年 同)
2014年 日本橋三越本店個展
2017年 日本橋三越本店個展