商品概要
商品名 | 備前焼 湯呑 |
作家 | 藤原啓 |
生産地 | 岡山県備前 |
サイズ | 高 8.8cm * 直径 7.7cm |
容量 | 約 250ml |
素材 | 陶器 |
備考 | 桐箱 |
ご注意点
表示の容量は【満注内容量】です。
水を縁までギリギリ満タンに入れた場合の内容量を示しています(蓋のある場合は蓋を受けるところまで)。
実際に使用される場合のお湯の量は少なくなります。
1938年 穂浪から伊部の窯場に通っていた陶工三村梅景を知り、築窯、原土の入手、ロクロ成形などの指導を受ける。
1939年 春、初窯を焚く。造って焼くことに無上の感激と喜びを感じ、以後、必ず春・秋二回窯を焚くことを心に誓う。五月三十日、次男恭介誕生。生活は火の車となり、そのため地方新聞に随筆や小説を書く。
1941年 金重陶陽と親しくなり、その指導により備前焼の焼成法が進展する。
1942年 備前焼研究家桂又三郎のあっせんで、第一回個展を岡山市の禁酒会館で開く。
1948年 国の指定による丸技作家の資格を受ける。この時、資格を与えられたのは備前焼では金重陶陽、山本陶秀、藤原啓の三人だけであったことから大いに自信をもつようになり、作陶一筋の決意を固める。
1949年 岡山県文化連盟賞を受賞する。
1953年 初めて東京にデビューし、東京日本橋の壼中居で個展を開く。
1954年 春、北大路魯山人のあっせんにより、東京日本橋の高島屋で個展を開く。
1955年 春、東京日本橋の三越で個展を開催。岡山市の天満屋でもこの年から隔年ごとに個展を開くようになる。病気で入院したのを機会に、長男雄が帰郷し備前焼に取り組み始める。
1957年 岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者に認定される。十月、第四回日本伝統工芸展に゛備前焼壼゛を出品。
1958年 日本工芸会理事に推される。以後三十五年まで理事を務める。十月、第五回日本伝統工芸展に゛備前平鉢゛を出品。
1952年 五月、プラハ(チェコスロバキア)とジュネーブ(スイス)で開かれた国際陶磁アカデミー会議に出席。同時に開催されたプラハ国際陶芸展で金賞を受賞。ヨーロッパ、中近東諸国を巡って帰国する。九月、第九回日本伝統工芸展に゛備前平水指゛を出品。
1963年 一月、山陽新聞社から山陽新聞賞を受ける。五月、岡山県文化賞を受賞。プラハ受賞作品゛備前壼゛がローマ日本文化館に納まる。十一月、中国新聞社から中国文化賞を受ける。
1968年 古希を迎え、その記念展を東京日本橋の三越で開く。
1970年 四月二十五日、文化財保護委員会から「備前焼」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。7月、豪雨による山くずれで穂浪字井田の工房と家が壊れ、一時、長男雄の穂浪西灘の家に移る。九月、第十七回日本伝統工芸展に゛備前平水指゛を出品。
1971年 春、備前市穂浪三八六三の地に新居を建てる。勲四等旭日章を受ける。六月、毎日新聞社主催「第一回日本陶芸展」に゛備前壼゛を招待出品。7月、妻を伴ってハワイへ旅行。九月、第十八回日本伝統工芸展に゛備前徳利形壼゛を出品。このころから軽い脳軟化症のため病院に約一ヶ月入院。
1976年 一月、備前市から初の名誉市民に推される。四月、岡山天満屋の葦川会館で「古備前と藤原啓・雄父子陶芸展」を開催。この展覧会がフランス、スイス、ベルギー三カ国を巡回することになり、四月から約一ヶ月間、ヨーロッパにおもむく。九月、東京日本橋の高島屋で朝日新聞主催により喜寿記念「藤原啓自選展」を開催。十一月、岡山の山陽新聞画廊で「唐津茶碗―荒川豊蔵・小山冨士夫・藤原啓合作展」を開催。
1977年 三月、ブリッセルでの「古備前と藤原啓・雄展」閉会式出席のため渡欧。7月、東京高島屋で朝日新聞社主催により「ヨーロッパ巡回帰国記念藤原啓・雄展」を開催。八月、岡山天満屋で山陽新聞社主催により同展を開く。十月、自宅の敷地内に財団法人「藤原啓記念館」完成。作品を寄贈し、一般に展示公開する。
1979年 一月、傘寿記念展を岡山天満屋、姫路山陽、東京高島屋で開催。
1981年 一月から三月にかけ東京高島屋、大阪高島屋、姫路山陽、広島天満屋で朝日新聞社主催により「藤原啓のすべて展」を開催。十月、朝日新聞社から「藤原啓自選作品集」を出版。十一月、高畑浅次郎、土光敏夫とともに岡山県で初めての名誉県民に選ばれる。
1983年 十一月十二日、肝臓ガンのため、岡山大学付属病院で死去。同日、勲三等瑞宝章を受ける。十一月二十六日、告別式が備前市民葬として備前市市民センターで行われる。